(高3夏 →20歳大人編ネタ)
勝行の秘密の性癖の話。冒頭は「両翼少年……」の頃、後半は大人編。
以前背徳の番外編として公開してましたが、未来のネタバレ話まで踏み込んでるのでこちらに移動。
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今日の今西光の機嫌と体調はよくない。
ピアノすら弾かないで、ゴロゴロとソファに転がったまま。何もする気が起きないのか、ぼうっと過ごしている。一応、夜の食事後の片付けは終わっているようで、ちゃんと洗い物は自動食器洗い機の中に入れられ、今は機械の稼働音がごぅん、ごぅん、と台所で低く音を立てている。
ウトウトしながらも、ソファに貼りついて動かない光を見て、その横にあるパソコンデスクで編曲作業をしていた勝行は、その作業を止めてヘッドホンを外した。
「光、眠いんならベッドで寝なよ」
「ん……」
気のない返事をするだけで、ちっとも動きそうにない。
季節柄、別にそのままソファで寝落ちてしまったとしても、風邪をひくほどのことでもないが、ついこの間も喘息発作を出したばかりだから、本当はもう少しその身を自愛してほしいと思う。しょうがない奴だな…と軽く息をつくと、自分も休憩することにして、勝行はパソコンの前から離れ、光が寝転がるソファに移動した。
途中まではゲームをしていたのか、その足元には白いポータブルゲーム機が転がっている。それを拾い上げて、ガラステーブルの上に置くと、勝行はソファの足元に座り込んだ。
「疲れて目を開けていられなくなったんじゃない。もう夜遅いし、俺の作業は気にせず先に寝てきなよ」
「嫌だ」
いきなりぼそっと一言で反抗されて、勝行は困った様子で光の顔を覗き込んだ。トロンと瞼が半分閉じたその目つきは、もう殆ど起きていられない、寝る寸前の顔だ。今もしここでキスとか強請られて、おやすみのキスでも投下したら、きっとこの場で即寝落ちてしまいそうな、そんな様子だった。
だからもしかしたら、いつもなら強請られるまで自分からはしない、その行為を待っているのかな……と考えてみた。
「――自分のベッドで寝ないなら、おやすみのキスはしないよ?」
ちょっと意地悪気に呟いてみる。
途端、光の微睡んだその顔はわかりやすいまでに不機嫌そうに、口元をへの字に曲げた。
「嫌だ……」
同じ言葉しか紡がない代わりに、のろりとその手が勝行に触れた。手探りのように、その細くて長い指は頬を撫で、首から胸までさすりながら降りていく。
「どうしたの……。ちょっと、こそばいんだけど」
本人がどういう思いで自分を触っているのか知らないが、勝行にはその行為が酷く誘っているような官能的な手に思えて、不自然に身体が熱くなる。悟られまいと必死で平然を装いながら、その行為を止めるように自身の指を絡めると、反抗はせずに光もその手を繋いだまま動きを止めた。
「……」
黙ったまま、じっと勝行を見つめる光の微睡んだ瞳には、何が映っているのだろうか。別に仕事も勉強も何もしなくていいのなら、勝行も本当はこうやってただぼうっと光の肌に触れ、姿ばかり見つめて過ごしていたい。繋いだ手から感じる温もりが、互いの空気をほんわりと和らげて、ゆるりと眠気を助長する。
光は殆どの他人を素直に受け入れないし、近寄らない。その代わりに、一度気を許した相手との距離はかなり近い。気が付けば、相手の身体のどこかにその手が触れている。手を繋いでくるのもしょっちゅうだ。その行為は、まるで自分が常に誰かの傍に居て、どこにも置いて行かれないことを確認したがるかのような、子どもじみた癖だ。
――そう、例えるなら、買い物中の母子連れのような感じ。
(俺ってもしかして、光の母親代わり?)
だとしたらものすごく不毛だが、あながち間違ってないかもしれない。
――真剣に思慮を巡らせていると、瞼がだんだん閉じて寝息を立てかけている光に気が付く。やっぱり、もう寝てしまうじゃないか。そう思った勝行は、慌てて揺り起こしながらうたた寝をやめさせようと声かけるが、返事は殆ど夢うつつ。
「全くもう……病み上がりなんだから、ちゃんと布団に入って」
お姫様だっこするぞ?
思わず耳元でそう囁くと、小さい声でもう一度「嫌だ……」と呟かれる。まだかろうじて現実の声は聞こえているようだが、その目は全然開かない。
おやすみと言って三秒で寝る男だ。
どうせこうなったらもう起きない。
何年も一緒に暮らしてきて、光の行動パターンなんて単純すぎてあっという間に覚えてしまった勝行は、軽い嘆息をこぼすと一旦握っていた手を離した。寝転がったままの光の背中と腰に手を入れて抱き上げ、勢いをつけて立ち上がる。
身長は高いけれど、体重は普通サイズの女の子と変わらない。見た目よりはるかに軽いその身体を抱きかかえたまま、勝行は光の部屋に向かった。
ドアも開けっ放しだったので、ベッドに寝かせるまではそう大変ではなかった。ここまではまあ、過去にも何度かあったことだ。正直軽いとはいえ、毎回のようにリビングから運ぶのは骨折りな作業だから、ちゃんと自分で寝に行ってくれないか……と苦言はこぼしているものの、結局こうなることが多い。自分でも甘すぎると思うその行為に呆れつつも、どこかその役回りを愉しんでいる自分がいる。
お姫様抱っこなんていやだ。
昼間なら絶対嫌がって大暴れするようなことも、寝てしまったらもう何も反抗しないし、翌朝になっても本人は覚えてない。
だからいつも、こうやってこっそり悪戯する。
きっとそれは、光は――知らない。
「運んでやったんだから、いいよな」
そんな言い訳じみた言葉を吐きながら、勝行はベッドに降ろしても光を腕に抱きしめたまま、光の頬に、おでこに、唇に、沢山のキスを落とす。
その右頬には、今日は自分の知る限りで三人の愛ある挨拶を受け取っている。そこをわざと上塗りするかのように口づけながら、首筋に指を這わせて刻印する場所をゆっくり探る。
絶対光には見つからないけれど、彼に好意を寄せて襲おうと思う人間がいたなら気づく場所。
四六時中光を見ている自分が、ここがいいと決めた場所に必ず、赤い所有の印を吸いつける。その痕が消えてなくなる前に、こうやって寝てしまった光の首筋に新しい刻印を入れるのだ。――こっそり、ナイショで。
いつも無防備に身体を預けきって何も疑わない光の寝顔は、時折生命を感じられなくなるほどに綺麗で、透明すぎる。だから時々、息をちゃんとしているか、呼吸は苦しそうじゃないか、とか、心臓はちゃんと動いているのかなと確かめるために、光の素肌に手を滑らせる。
「ん……ぁ、あ……」
つい調子に乗りすぎると、寝ているはずなのに、かすかにこぼれる喘ぎ声が悩ましくて、勝行の理性はいつも吹っ飛びそうになる。
もっと触れたい。もっと声を聴きたい。
もっと……もっと……。
(ダメだ)
理性と欲望の激しいバトル。
それは胸が苦しくて、切なくて、涙が出そうになるほどに歯がゆい。
でも自分の中で決めた、悪戯のボーダーライン限界を超える勇気はまだない。それに光とは、無理やり強奪するような行為だけは絶対にしたくない。そういうやり方でしか人の愛情を感じられなくなっている光に、これ以上上塗りするような刷り込みは避けたいのだ。
けれど……。
(起きてる間に、こんなことする勇気なんて、ないなあ……)
心の奥底で眠る、暴力的で欲望に忠実な自分に総てを委ねてしまったら、光の身体を手に入れるなんてきっと簡単だ。だけどそのやり方は、勝行が絶対に避けたいと思っていることと全く同じこと。
だから今日も必死で理性を繋いで、せめてもの足掻きにキスマークだけをつけて、光の身体からそっと離れた。
いつもなら、ここで布団をかけて、おやすみのキスをもう一度したら、おしまい。自分の心に釘を刺して、妄想を忘れるために仕事に戻って音楽世界に没頭する。
だが今日はそれができなかった。
寝ているはずの光から、腕がするりと伸びてきて、離れかけた勝行の身体が光の方に引き寄せられた。決して力強くはないが、縋り付くように腕を掴んで離さないその手を不思議に見やりながら、もしかしてキスマークつけたのバレたかな?と一瞬焦る。
手だけが動く光を見て、「どうかした?」と優しく尋ねるが、答えはなかなか返ってこない。やっぱり寝ているのかな、と思うが、その手を振りほどくことがなぜかできない。
しばらくそうやってじっと光を見つめていたら、寝言のような掠れた声で光が呟いた。
「……ぃく……な……」
「え?」
聞き間違いでなければ。
行くな、と言われた。
本当はこのまま離れたくないなと思っていたその足が、魔法にでもかかったかのようにそこから動かなくなる。まるでもう、仕事なんか放り出してここに居ていいだろうと反抗しているみたいだ。
だけど今このままここにいたら、理性を保つ自信もないんだけど…。
「俺、まだ仕事あるから。おやすみ、光」
甘くて優しい声を耳元で囁くと、光は「ん……」と微睡みながらもう一度掴んだ腕をゆるく引っ張ってきた。
「いや……だ……ここでしろ……」
「え? ここで? ……仕事?」
「……ねろ……」
思いっきり寝ぼけているようにしか思えないのだが、随分偉そうな物言いでわがままを押し付けられた。
寝ろって?
……ここで、俺が?
もしかして、独りは寂しいのかな。ここで仕事しろってことか。
「じゃあ……音源と楽譜とってくるから、待ってて」
「ちが……もぅ……ねろ、おまえも」
今度はもう寝ぼけていないのか、半分だけ目を開けてはっきりと言うと、自分のベッドの手前を適当に開けて勝行を強引に引っ張り上げる。
「わっ、っと……なに? 一緒に寝ろってこと? ここで」
「ん」
やっと満足する答えが返ってきたと思ったようで、光は寝ぼけ眼のままで勝行の上半身に抱きついて、めいっぱい凭れたまま再び寝息をたて始めた。
こんな安定しないところで抱きつかれて起きていられるはずもなく、勝行の身体もベッドに転がり込んだ。
光のベッドは簡素なパイプのローベッドで、いつもちょっとだけ上半身部分をリクライニングして上げている。そのサイズはセミダブルだから、正直こんな図体のデカイ男が二人で落ち着いて寝れる広さではない。それでも、すっかり身動きがとれなくなった勝行は、しょうがないな…とため息をついて、光が寝入って離してくれるまでしばらく待つか、とそのまま添い寝の体制になった。
(今度は、抱き枕にでもなったかな)
まるで抱きぐるみを抱えるかのようにぎゅうと勝行に抱きついたまま、すうすうと幸せそうな寝息を立てている光を見ていると、なんだか色んなしがらみも悩みも全部、はらはらと音を立てずに飛んでいくような気がした。
(はあ……なんだろ。なんでお前の寝顔見るとこうも落ち着くというか……気が抜けるのかな……)
思えば中学生の頃、初めて光と一緒の和室で布団を並べて寝た修学旅行の夜にも同じことを考えていたな……と改めて思い起こす。
あの時は初めて、こっそり光の手を握って寝たんだっけ?
あの頃からちっとも変わってない、自分の情けない秘密の行為がくだらなく感じて、自嘲の笑みまで零れてくる。
いつか……
寝てる時じゃなくて、ちゃんと目を見て話せるその時に
素直に愛せるようになれるかな。
そんな小さな願いを胸に抱えながら、いつしか勝行の瞼も重く閉ざされていった。
布団が半分しかなくても、光の腕の中は思った以上に暖かかった。
**
季節は何度となく変わり、二人とも成人を迎えた春の良き日に、光の命の燈はそっと消えていく。
その魂は、愛しい人の歌声に乗って、天高くどこまでも羽ばたいた。
勝行は今日もお姫様だっこで光を抱き上げた。
五月を迎えたとはいえ、薄暗い冷えた安置室なんかに寝かせていたら風邪を引くじゃないか。そう言いたくて、いつも通り。
いつものベッドまでがちょっと遠い。
だけど車もあるし、別に問題はない。
「片岡さん、皆が落ち着いたらうちに来るように伝えて。――朝までは誰も来ないように。真夜中だしね」
その言葉を聞いて、運転していた専属SPの片岡が、一層心配そうな顔をしながら後部座席の勝行をちらっと窺う。
「片岡さんも。……俺は大丈夫だよ、家にいるだけだから。だから絶対に誰も入れないで。……二人だけに、させてください」
「承知しました」
もう彼がこの世にいないことはある程度の仲間には通達した。数人は安置所まで逢いに来た。どうにもならず、誰もがその突然の別離を受け入れられず、ざわめく状況の中で、ひっそりと自家用車で帰宅した勝行は、後部座席から降りながら、ずっと眠ったままの光の身体をいつも通り、お姫様抱っこの要領で抱き上げた。
「式場と僧侶の手配は本家でしておきます。今はどうぞゆっくりお休みください。明朝、弟さんをこちらにお連れします。五時頃でもよろしいですか」
「ああ……よろしく」
片岡は、勝行が今からどうしたいのか、なんとなく察してくれたようだった。朝から夜まで何時間もぶっ通しでリハやステージをこなし、三時間もの野外ライブ本番を最後までやりきって、心身ともに疲れ切っている状態だった。正直まだ立っていられるのが不思議なくらいだ。素直にその言葉に甘えることにして、勝行は振り返りもせずにマンションのエントランスを通り抜けて行った。
いつものベッドに降ろして寝かすことは、何一つ変わらないのに。
その息の音だけはもう聴こえない。キスをしても、舌を入れて強請っても、耳を引っ張っても、もう何も返さない。
そんなことはもう分かってる。
分かってるけれど、勝行の身体は何も考えられないまま、躯に凭れかかって何度もその肌に触れた。屍相手に気が狂っていると言われたらきっと否定できない。今の自分が一体何をしているのかなんて、勝行には分からなかった。ただただ、いつも通り。
愛したくて、その身体中に口づけして、冷たいその肌に赤い印をつける。何度も何度も。
ライブはもう終わったよ。お疲れ、光。
今日も、お前をここまで連れてきたから
最後のご褒美くらい、もらっていいよな……。
空から見てる、光にもうバレてる。
俺の秘密の悪戯。
ごめん。好きだから、ずっとずっと好きだったから止められなかったけれど、お前は……怒らないよな?
ねえ……返事、聞かせて。
俺を置いて……いかないで……
その哀しい声は誰にも届かない。
おわり