WINGS編あらすじ
高校三年の夏、光の体調不良で出場を断念した大型ライブイベント。休業と受験を経た一年後、ようやくもう一度チャンスをつかむことができた。それも夢の大舞台、Bサマーロック。
株式会社Bondsと契約し、一躍有名人になったWINGSは、人気バンドHopesからの推薦を受け、二日目のオープニングアクトと12時台のステージを担当することに。
慣れない業務に加え、緊張しすぎで疲れの見える勝行が心配な光は、少しでも彼の力になりたくて、自分なりに頑張ろうと決意するが――。
――人は不安に陥った時、何かに縋りつきたくなる。それが滑稽で不健全だとわかっていても、麻薬のようにやめられない。勝行と俺にとってのそれは、きっと――
絶体絶命のピンチに陥る二人と、彼らを取り巻く沢山の仲間たちの物語をお楽しみください。
BL/青春ライトノベル(キスまで)/甘々コメディ(時々切ない)/俺様わんこ頑張る/光視点
時系列:青年期 勝行 大学1回生(19)・光 新米作曲家(18)
小説本文 試読
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――忙しいという漢字は、心 を亡くす、と書くんだ。
それは半年だけ世話になった国語教師が教えてくれた言葉だ。気づけばいつもスケベなことばかりしたがるクズ男だが、時々ぐっとくる名言や豆知識を教えてくれる。
今西光は夏草の香りがする外の空気を思いっきり吸い込むと、グランドピアノの鍵盤に指を重ねた。
この会場に沢山綺麗な音楽を詰め込んで、あいつの心に注ぎたい。毎日毎晩身を粉にして働く大切な相方・相羽勝行の《心》が失われないように。愛しい歌声が、途切れないように。
その軽やかなピアノメロディは、広大な高原を駆け回り、夏空へと飛び上がった。
――俺たちWINGSの楽曲が、誰かの生きる糧になりますように――
**
ミニステージで誰か演奏してるぞ、という声がちらほら会場内で聞こえてくる中、相羽勝行が焦った形相でステージ上に飛び上がってきた。グランドピアノを機嫌よく弾いていた光に向かって叫んでいる。
「光、だめだよ。今は演奏していいって言ってないのに」
「えー」
「ああ、いいよいいよ。ちょうど設営終わったとこだから、音チェックしてくれてるんだよね、ヒカルくん」
「ん? あー、えっと……うん」
怒られたと思ったら、逆サイドから知らないスタッフに擁護され、光は適当に頷いた。困ったような笑顔を見せながら、勝行が「今は設営中だから、遊んで演奏に夢中になったらだめだよ」と念を押してくる。遊んでなんかいないのに……と言い返したいが、実際ピアノと向き合ったら我を忘れて熱中するのは事実なので反論できない。
いくつかの書類を手にしながら、勝行はこのあとの予定を読みあげている。
野外フェスの運営本部に挨拶、ヘッドライナーで総合企画担当のHopesに挨拶、同じステージで当日共演するアーティストへの挨拶に、協賛してくれるスポンサー企業への挨拶。物販ブース、ステージスタッフと挨拶、設営の手伝い。それから――
「何それ。あいさつばっかじゃん」
「当然だろ、どれだけの人間がこのイベントのために働いてると思ってるんだ。ゲネプロの順番が来る前に、最低十回は頭下げて挨拶周りするぞ。特に俺たちは新人枠なんだから、こっちから向かうのが常識なんだし」
「うげえ……マジかよ……」
そんなものに意味があるのか。光は盛大にため息をついて空を見上げた。
昨日までは雷も落ちるほどの大嵐だったのに、今日は鮮やかな青色が眩しいくらいだ。まだ芝生は湿っているが、きっと今日のうちに乾ききるだろう。このあたりも梅雨明けが宣言されたに違いない。
だが勝行の周りにだけ、暗雲立ち込めているように見える。目の下にはうっすらクマも。
今すぐ弾きたい理由が、本人にはさっぱり伝わらないのがもどかしい。
タララランッとグリッサンドを入れて、光はアップテンポな音を導き出す。周りを見渡せばどこもかしこも、慌ただしく働く人間ばかり。どうせなら、気分よく仕事してもらいたい。
「なら、みんなの仕事のBGMに」
「……もう……光にはほんっと敵わないよ」
大道具を手に走り回るスタッフたちが、いい曲だねとコメントしたりヒュッと口笛を吹いていく。溜息をついた勝行も疲れ目を隠すようにサングラスをかけ、すとんと隣に座った。
「どうせなら、これぐらいしなくちゃ」
「……?」
ぐいと右側の鍵盤エリアを陣取ると、勝行はいきなり超絶技巧曲のようなフレーズをタタタダダタンと叩き、不敵に口角を上げた。
「――やるじゃねえか。連弾?」
光の両手が低音をダダンと走り回れば、勝行の右手がちょこまかと高音を行き来する。のらりくらりと攻撃を回避しながら軽やかに仕事をこなすテクニシャンのようだ。
「むっ……負けねえぞ」
「勝負じゃなくて、作業用BGMだろ。みんなこれぐらい忙しいんだって、テンポあげていかなきゃ」
「だがしかし夏の猛暑が邪魔をする! ドーン」
「うわ、重い……! なにくそ、そこは負けない、みんな本番に向けて急ピッチで設営中! ついでに隅まで調律チェック!」
「あー俺まだそこまで弾いてない、ずるい!」
仕事を兼ねてと言わんばかりに勝行はしれっと鍵盤を叩いていく。その手から即興で作られていくメロディはどことなく長年のパートナー・光の手癖に似ている。
「おいおい、WINGSなにやってんだ。お偉いさんにしぼられるぞ」
「楽しそうだから別にいいんじゃね?」
「なんだ、もう余興始まってんのか」
一人分のチェアと鍵盤を奪い合いながらはちゃめちゃな即興曲を演奏する二人を見て、周囲はひたすら苦笑していた。その中には聞き覚えのある声も。
「よう、お二人さん。久しぶりだな。どうだ調子は」
「あっ……Hopesの」
声をかけてきたのは、フェスの中心的存在で今年のヘッドライナーを務める大人気ロックバンド・Hopesのメンバーだった。
その存在に気づいた勝行が慌てて立ち上がりステージから降りようとするが、いいからと止められる。気づけばステージの周囲はHopesのメンバーだけでなく、スタッフとは一味違うオーラを放った出演者たちで囲まれていた。
「すっ、すみませんご挨拶もまだで、しかも高いところから。本日はお世話になります」
勝行はサングラスを外し、深々と頭を下げる。それを見た光も立ち上がるが、いきなり動いたせいで眩暈がひどく、つい目の前の勝行にしがみついた。
お揃いのフェス公式シャツを各々着こなしたミュージシャン一行は笑って手を振った。
「そんなのいらねーよ。可愛い顔が見れないからこっち向け。ステージ上では堂々としてろ」
「出た。スカイ様の可愛い子贔屓~」
「何言ってんだ。イチャイチャ仲良しコンビ愛見せつけやがって。ああ大丈夫、俺はそんな無粋な真似はしねえから」
「それよりさっきのピアノ面白かったなあ」
「あれ、設営ソングか? なんなら歌おうか」
「《あついー! とけそー! あっせっだく!》」
「てめ、センスなさすぎか」
勝行にしがみついたまま、光は思わず目を輝かせた。
「もっと弾いていい?」
「あ、こら光……っ」
「ああ、いいぜ。その代わり最高のエンターテイナーとして、ここにいるみんなを楽しませてくれよ。あと本番は今日じゃないからなー」
周囲からどっと笑いが起こる中、いいぜと言ってくれた男性の顔を光は食い入るようにみた。
自分と同じ髪色にピアス。すらっとした体躯でも力強いその目力と存在感は大地のようで。耳障りのいいクリアな声は、夏風と共に空へ抜けていく。
――あと十年生きていられたら、この人みたいなかっこいいミュージシャンになれるだろうか。
それは音楽家として活動を始めてから、最初に抱いた「憧れ」の感情だった。
**
「さっきステージで遊んでたらしいわね。挨拶より先に」
「配慮に欠けており、申し訳ありません」
再び勝行が深々と頭を下げた。同時に後頭部を押さえられ、光も条件反射でお辞儀する。
どうしてこの女は怒っていて、勝行は謝らなければいけないんだろうか。さっきはピアノ弾いてもいいと許してもらえたのに。
脱色ブロンドのゆる巻きロングヘアをふわっと手で広げ、華奢な色白の足を組みなおしながら、大物女性シンガー・まりあはふうと盛大なため息をついた。
「礼儀のなってない新人は、この業界じゃ信用を失うわよ」
綺麗な顔をしているのに、鼻につく態度とハスキーな声色がそぐわない気がして光は眉をひそめた。
はっきり言って光はこの女性を知らない。だが世の中のみんなは彼女を国民的歌姫と称え、楽屋では子分のような取り巻き数人がせっせと彼女を飾り立てている。差し出されたアイスコーヒーに対し、「ちょっとこれ誰からよ。本番前の喉コンディション考えたらありえないでしょ、今すぐ差し替えて」と容赦なく雷を落とす。
ずいぶんと面倒そうな人間に目をつけられたもんだ。
キャンピングトレーラーがいくつも並ぶ関係者ゾーンの一角。各アーティストが自分たちの拠点だとわかるよう、バンドステッカーやデコレーションで飾り立てている中、まりあのトレーラーはひと際目立つ派手なピンク一色だ。どんな可愛いお姫様がいるんだろうと期待して足を踏み入れた途端、豊満な胸を強調する際どい衣装と派手なメイクを施した女王様のお説教タイム。挨拶回りというものはまさに地獄のようだ。
巨乳好きの勝行なら胸の谷間だけに視線を落として適当に聞き流せるのだろうが――。
(俺、むり。こーゆー女、嫌い)
「まりあちゃん、あんまり新人を苛めないでやってよ」
「あら、長瀬さんじゃない。心外ね、私も新人の時は先輩に社会のルールを厳しくご指導いただいたの。おかげで今の自分がいるし、いじめだなんて思わなかったわ」
「それはありがたいけど、時間押してるから、ね。あとうちの新人も一人合流が遅れてて、ちょっと挨拶させてもらえると嬉しいんだが」
絞られている二人に助け船を出したのは誠プロダクションの社長、長瀬誠一郎だった。きっと彼女が気難しいことを知っていて、勝行にこっそり情報を教えてくれたのだろう。勝行は長瀬を振り返り「いつもすみません」と頭を垂れている。その後ろには、長瀬の事務所に所属する人気シンガー・柚希がふてくされた顔で立っていた。さっきミニステージでピアノを弾いていた時、適当な歌詞をつけて歌ってくれた男で、今回の出演者内では唯一の顔見知りだ。どうやら彼も長瀬に連れられてしぶしぶ挨拶にきたようである。
「長瀬さんのとこの? HUNTERなら朝挨拶したわよ……あー、新人って後釜のボーカルくん? まさかの後輩が先輩より後に来るとか、今年の新人枠はどうなってるのかしら」
「悪い悪い、まりあちゃんの楽屋は一番人気だからさ、皆順序良く並んで待ってるんだ。年功序列ってやつさ。新人は待たされてんの」
「よくいうわ。ゴールドステージのトップバッターの子なんか朝イチに来たわよ。Rだっけ? ぶるぶる緊張しちゃってて、ワンコみたいで可愛かったわ」
まりあは長瀬のジョークを雑にあしらい、わざとらしく溜息をついた。
もう帰ってもよさそうだ。やっと解放される。彼女の言葉を何一つ聞かずスルーしていた光は、早々に背を向けふうと一息ついた。が、続く言葉に思わず肩を震わせた。
「所詮、天才プロデューサー・タモツの名前と顔だけで売れてるお人形さんね。中身なさそう」
鼻でふんと笑う声まではっきり聞こえる。隣を見れば、勝行は無言で拳を握りしめていた。
「まりあさん、あの子たちミュージシャンですよ」
「えー歌ってるの? 聴いたことないわ」
「じゃなかったらまりあさんと同じゴールドステージに出ないって」
「ああそっか、ごめんなさいうっかり」
服着て歩くだけなのかと思ったわ。取り巻き女性とわざとらしく大声で雑談する内容が、光の神経をどこまでも逆撫でする。
「私Bさくらチャンネルの音楽情報番組は常時チェックしてるのよ。楽曲提供してほしくなるほどの実力者だったら絶対忘れないわ。覚えてないってことは、その程度ってことなんじゃない?」
「彼らはテレビよりネットで人気なんですって」
「こないだまで高校生だったから」
「やだかわいい」
「Hopesのスカイって面食いだから。顔で出演者選んだんでしょ絶対」
勝行の姿を何度もチラ見するが、耐えろと言わんばかりの無言の圧を感じる。だがその目には、悔しさがにじみ出ている気がした。
――どこがいじめじゃないって?
ドンッ!
苛立ちが募った光は思わずトレーラーの壁を拳で叩いた。ぐらり車体が揺れ、キャッと女性陣の悲鳴が小さく上がる。
「うっせーなさっきからグダグダと。俺たちが顔だけかどうかなんて、音楽聞いてから言えやそこのクソババア!」
「くっ……くそ⁉」
「光、おまっ」
「勝行がここに来るまでどんだけ努力してきたか知らないやつに好き勝手言われて我慢できるか! WINGSの曲は根性ひん曲がった女王なんざに聴かせる気ねえよ! 音楽が好きな奴らと一緒に楽しむために歌う曲だ!」
焦る勝行の制止声。引きつり笑いを浮かべる長瀬の顔。怖がる取り巻きたちに、何事かと外から集まってくる関係者たち。
ざわつく中でまりあだけは動じず光を睨みつけ、ボリューム満点のつけまつげと赤い唇をうっすら上げた。
「ほんと生意気ね。明後日の本番が楽しみだわ」
「そうね、俺も。――楽しみ」
「……!」
噛みつく光の後ろからその身を押しのけ、小柄な青年がまりあと光の間にするりと立った。
「た……タモツ」
「大人社会の理不尽な礼節を指導するの、忘れてたわ。ごめんなさいね」
驚いた顔のまりあににっこり笑顔を向け、プロデューサーの置鮎保はWINGSの二人を振り返らないまま強い声を発した。
「あんたたちはさっさとゲネに行きなさい。もう出番直前よ」
「……っ」
「急げ! ステージの遅れは許されないぞ」
その隣には、いつの間にかさっきまで後ろにいた長瀬誠一郎も立ちはだかり、まりあとWINGSの間には完全な壁が出来上がっていた。二人は顔を見合わせ小さくお辞儀をすると、保の言う通りその場を抜けて走り出した。
やりきれない想いを沢山抱えたまま走る山道の空は、どんよりした雲に覆われていた。
予告編PV
さくら怜音担当の本編だけでもWINGSのストーリーは堪能できますが、他の作家陣の作品はどれを読んでもどこかで必ずWINGSにつながるよう、何らかのネタが詰め込まれています。時に出演・共演していることもあります。すべて「WINGSをかいてくれ」と頼み倒して「いいよ」と快諾してくださった作家さんの愛ある作品ばかりです。
一つの世界に、色んなキャラがすれ違い、時に交流する群像劇という名のアンソロジー。一度作ってみたかった憧れの企画でもあります。サイト開設五周年というよきこの年に、本編であるこの物語を沢山の方と一緒に作り上げることができた喜びに感謝しております。
概要
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