2025年あけましておめでとうございます 1月19日関西コミティア72出ます B-46

とける君、とけない贖罪

いつも「俺」の傍にいる「君」は、絶対に触れることはしないし、触れることもできない。 ただずっと、笑顔で、「俺」の歌を聴いて、懸命にピアノを弾いている。 とある歌い手が、パートナーとの人生を語る短いお話。 短い&一人称、詩のような物語です。
2017年冬の自主企画「とろけるまえに、はやく」参加作品

君はいつも、俺の前でやさしい笑顔を見せてくれた。

その代わり、絶対に触れることはしない。
触れることもできない。
ただずっと、笑顔で、俺の歌を聴いてくれる。
手が届くようで、届かない場所にいて、君はずっと俺の歌に合わせて身体を揺らしながら、時々指をゆらゆらと宙に浮かべて、動かして遊ぶ。

俺には全然見えないけれど、あの子の目の前には鍵盤があるらしい。
例えるなら、360度ぐるりと彼を取り囲む、二段積み上げのシンセサイザーブース。
よくわかりもしないであちこちのボタンを触りまくって、自由に面白い音を奏でては無邪気に笑い、鍵盤を滑るように泳いで渡っていく。そんな彼が奏でる音楽は、いつも俺の頭の中で四六時中流れている。ただ、他の人には聴こえないみたいだ。
俺のためだけに開かれる、ソロライブのよう。ほんのちょっとした優越感に浸れる。
そこで俺は、好きなように声をあげて、そのメロディに歌を乗せる。
歌詞なんかあったり、なかったり。紡ぐ言葉はいつも適当だ。
けれどその時に見せてくれるあの子の笑顔は本当に眩しくて、楽しそうで、こっちまで釣られて口角があがってしまう。楽しくなって、歌う声に力が入る。添える右手に、熱がこもる。

二人だけで楽しむコンサートは、いつでもどこででも、二人出会えたその時、その場で自由に開催された。
告知なんてない。
もちろん、ライブのチラシもないし、チケットもいらない。
その代わり、俺たち二人が出会った時だけ。
偶然その場に居合わせた人だけが聴くことのできる、ストリートのゲリラライブ。

今日は近所の河川敷で。
夕陽のオレンジをスポットライトに。
明日は自家用車の運転席で。
助手席にいつもいる、君の寝顔を眺めながら。
冬には駅前のイルミネーションに照らされて。
ひとつしかない影を踏みながら。
君と二人で。


**

重なる年月とともに、甘くて可愛いハイトーンボイスと称された俺の歌声も、少しずつ変わってきた気がする。オクターブが狭くなって、高音域の続く楽譜がきつくなってきた。ギターみたいに、チューニングして直るものならいいけれど、生憎俺の歌声は楽器ほど優秀にはできていないようだ。
掠れた裏声がいやで、付き合いの長い先輩プロデューサーに相談してみたら、「経験値とともに色気のあるおじさんボイスに成長した証よ。それはそれでいい商材」とかえって別の仕事を押し付けられてしまった。
もちろん、自分で選んだこの道の仕事も楽しいけれど、やっぱり俺はあの子と一緒に歌う時間が一番楽しくて幸せだと思っていた。

「ねえ……俺の歌、こんな声になっても君は聴いてくれるの」
尋ねてみたけれど、彼は何も言わないまま笑顔で頷いた。
そして指をゆらゆら動かして今日もリクエストする。

『 う た っ て 』

「……君は本当に、俺の歌が好きなんだな」
笑顔でこくりと頷くその姿は、いつ見ても変わらなかった。

そういえば、昔からそういってくれていたっけ。
無償の愛情表現を素直に聞き入れられなかった意固地な俺は、年老いても今尚疑心暗鬼のかたまりで、ついこうやって確認してしまう。俺のこと、本当に好きなのかな? って。
若い時から、それはもう何度も、なんども。

歌い終わってふと前を見れば、あの子はいつの間にかいなくなっている。
これも、いつものことだった。
二十四時間、消えることなく傍にいてくれたらいいのに。
ずっと傍にいて欲しいとお願いした時は、彼は泣きそうな顔をしながら、伏せた目でごめんと呟いた。それはもう、叶わない希望だったんだ。
俺も知っていた。
わかっていて、試すようなことをつい口にしてしまった。だからこれ以上、我儘は言わない。
言わない……。


**

また長い月日を、意味もなくだらだらと過ごしていたけれど、気づけば彼の身体は、夕闇の空へとけていきそうなほどに薄くなっていた。
触れられないことをわかっていながら、俺は思わず手を伸ばした。
届かない腕の先で、空と同じ色をした自分の指を不思議そうに見つめる姿が映る。かじかんだ手を温めるかのように、はぁっと息をふきかけ、何度も指を雪の舞う夜空に掲げて。
触れることができたら、俺の体温をいくらでもあげられたのに。
ぬくもりを感じることができないから、その存在を確認することもできない。ただ、視覚と聴覚だけが、君を捉え続けている。
俺たちがそんな関係になってから、一体どれぐらい経ったんだろうか。

「ねえ……消えないよね?」

もう一度、俺を置いて。どこか遠い空の向こうに、消えてしまうのが怖い。

――あの茜色の空と、影色の鉄骨が、君を連れ去っていく夢を視たんだ。

そんな弱音を吐く自分は、最高にかっこ悪かった。
けれど彼は目を細めて柔らかく笑いながら、今日も指を動かした。

『うたって』


**

生きることの意味が分からなくなって、息を続けることが苦しくて、爪で喉を掻き斬りながら泣いた。声がでなかった。
俺の目の前にいる彼は、それでも笑顔で今日も俺の歌を待つ。

「歌えないかも……」
掠れた声で泣き言を言ったら、困った顔をして首を傾げた。
それから、お互いの吐く息がかかりそうなくらいすぐ傍まで寄ってきた。
今日こそ触れることができるのかと思って指を出しかけたけど、現実に打ちのめされるのが怖くて、結局ひっこめた。

――昔、君がくれた約束のキスは、もうすぐ効力を失うのかもしれない。

「元気になれる、魔法がほしい」
『いいよ』
何十年ぶりかにおでこにあてられた彼の唇は、そよ風の音がした。


『俺、溶けて消えちまう前に、お前の歌が聴きたかったんだ』
そういって儚いその身は、また俺の目の前でゆらり、どろりと溶けていく。記憶の中の君がいくつもあわさって融合する。柔らかい春風になって、消えていく。
「いやだ」
俺はいつもそれを否定する。
だって君の願いを受け入れてしまったら、君はもう来ないじゃないか。
そこで座って、鍵盤を弾きながら、俺の歌を、ずっとずっと聴いていて。そこで笑っていて、ずっと。
いつかもう一度、空に向かって大声で歌えるようになるその日まで、俺の歌を、待っていて。
もう触れられないままでもいいから。
……キスもできなくていいから。お願いだから、消えないで。
おれたちは、ずっと二人で一つだろう?

年甲斐もなく、自宅で泣きながら傲慢な願いを吐いて懇願したら、何十年も前から抱きしめてくれなくなった君は、やっぱり笑顔でこう言ったね。

『なあ、うたって』

おまえのうたをきかせて
おれはおまえのうたをききながら ねむるのがすきなんだ


**

どんなに辛いことがあっても、懸命に生きる君の貪欲な願いは、俺が全部叶えてあげたかった。

けれど、最期にどうしても、叶えることのできなかったその願い。
抱きしめて、謝りながら、ずっと体温を求め続けたけど、もう元に戻ることのなかった君の躰。あれは夢でも幻でもなく、現実だ。遠い記憶の彼方に追いやった、贖罪の箱の中身。

俺の前でいつも笑ってくれるあの子は、俺の理想の幻であることくらい、本当は何十年も前から知っていて、でもずっと知らないふりをして愛してきた。
俺の歌を聴きながら死にたいと言った、彼の『まぼろし』を。

俺は年老いても命枯れ果てるまでずっと、この声をずっと空に向けて響かせながら歌い続ける。
空でずっと待ち続けている、君に少しでも届くように。けれどもう、声が出ないんだ。

だから君の優しい笑顔は、もう俺の前にいない。


エブリスタで読む …… https://estar.jp/novels/25266991


※この短編の登場人物に名前はありません。
ただ、当方の代表シリーズ「WINGS」の作品を知っている方は、なんとなく誰と誰の物語なのかわかると思います。私が伝えたい彼らの物語は、こういう世界です。 というのが伝わるといいなーと思って書いたものなので、何もしらない方にこそ読んでいただけると嬉しいです。 表紙は無料素材をお借りしています。