君とぼくのハッピースウィーツ頌歌
高1/9月 WINGS
九月十三日。
それは相羽勝行にとって、少しだけ特別な日だった。
この世の誰よりも、彼が生まれてきてくれたことを感謝する日。
**
横浜の私立高校に入学して早半年。
東京でのライブ活動も始めたばかり。そんなにすぐメジャーでとはならないが、知り合いのライブハウス経営者からインディーズレーベルとの契約を口利きしてもらった。早速ダウンロード限定で既存の持ち歌「WINGS」を配信しよう、という話がまとまった頃のことだ。
「光、誕生日プレゼント、何が欲しい?」
いつものライブハウス帰り。
最寄り駅から乗った路線バスを降り、実家である相羽本家までの夜道を歩きながら、勝行は隣を歩く今西光にそう声をかけた。
「は?」
眠たそうに欠伸しながら歩く光は、不思議そうに勝行の顔を振り返った。
「明日じゃなかった? お前と源次の誕生日」
「……そうだっけ」
勝行は思わず苦笑して、相変わらずだなと呟いた。
「明日は九月十三日だよ」
「……ああ、そうか」
「ちょうど土曜日で学校も休みだし、買い物にでも出るか?」
「んー……」
間延びした返事をしながら、光はズボンのポケットに手を入れる。そこには去年の誕生日、勝行が強引に買ってきて自分に持たせた黒の折り畳み携帯電話が無造作に突っ込まれていた。するとちょうど着信があったのか、ブブブッとバイブレーションが響いたようだ。
光は不思議そうにそれを取り出し、画面を開く。――途端、大閃光かと思わんばかりの明るいホワイトライトが光の寝ぼけた顔面を照らした。のぞき見すると、画面にはメール着信のお知らせと、「源次」と書かれた差出人表記がでかでかと映っている。源次というのは光の双子の弟の名だ。わけあって今は別々に離れて暮らしている。
「メール?」
「……目が……いてぇ……」
目を細めてしかめ面をする光は、そのままずいっと勝行に携帯を押し付けた。「読め」ということかと無言で察した勝行が、その画面を遠慮がちに眺めて音読する。
「噂をすれば、源次からだね。ええと……
『一日早いけどハッピーバースデー! 明日は遠征試合で忙しいからフライングでお祝いです。光くんも勝行くんとケーキ食べるのかな? 東京のおしゃれな誕生日スイーツ写メ待ってます』
……だって」
「はぁ?」
「これ、どう考えても源次からじゃなくて、和泉さんからのメールだね」
差出人こそ弟の名前だが、内容は今西兄弟の幼馴染の女の子で、源次と一緒に地元に残っている和泉リンからのものと思われるような文章だ。そのメールには添付ファイルがついていて、スクロールすると笑顔の源次が美味しそうにシュークリームをかじっている写真が添えられていた。たいへん幸せそうに頬張る彼の表情は、久しぶりに見るはずなのになぜか既視感が拭えない。
「和泉さんは、源次にスイーツをプレゼントしたみたい」
「ああ……あいつ、リンに餌付けされてっからな」
やっと明るい画面に目が慣れてきたのか、遠目にその写真を見た光は鼻でふんと笑った。
久しぶりに弟の元気そうな姿を見ることができたからだろうか、その表情はどこか嬉しそうに映っ
て見えた。そんな光を見ていると、自然に勝行にも笑みがこぼれる。
「光も、明日はスイーツ食べて和泉さんに写メを送らないとね」
「はあ? わからんし面倒……。お前がやって」
「別にいいけど」
そろそろ携帯でメールする方法くらいは覚えて欲しいな……。
何の連絡手段も持たない彼に一方的に押し付けた物――そういえば去年あげた誕生日プレゼントは携帯電話だったなと思い出す――とはいえ、通話ボタンとメールを見るボタン以外、ろくに使えない。もう少し有効活用してはくれないだろうか。勝行は思わず肩をすくめた。
光はゲームとあらば何でも食いつく割に、こういうデジモノには疎い。そのゲーム機ですら幼少期に中古で人づてにもらったという、かなり古いコンシューマーゲーム機だった。
そもそも光が使っている電子機器は、どれもこれも古いものばかりだ。いつも使っているポータブル音楽プレイヤーも、未だMDだったことに驚いたのを覚えている。
愛用の自前電子キーボードも十年以上前に買ってもらったという一般向けエントリー機種だし、物持ちがいいと言えばいいのかもしれないが、目新しいガジェットが出たらすぐ欲しくなる勝行には正直考えられないことだった。
(そうだ、電気屋か楽器屋か……秋葉原にでも連れて行こうかな)
なんとなく脳内で明日の計画を立てているうちに、自宅の灯りが目前に見えてきた。
勝行は携帯を閉じて光に手渡すと、「明日のことは風呂にでも入ってから考えるか」と穏やかな笑顔を見せた。それから少しだけ速度を上げて自宅へと向かった。
**
翌日。
秋葉原に繰り出したのは勝行も随分久しぶりだ。時折道に迷いそうになる。
だが秋葉原はおろか家電量販店そのものにすら来たことがなかったらしい光は、終始挙動不審だった。
冷蔵庫や洗濯機などの家電コーナーにふらっと近づいては「……た、たっけえ……」とその金額に目を剥き、大量に並ぶ炊飯器や電気ポットをみては「何が違うんだ?」と首をかしげる。あげくちょっと目を離した隙にすぐにどこかへ消えてしまった。
見つけたと思ったら、試運転中の空調機サンプルを触って遊んでいるし、中が透けて見える食器洗い乾燥機の前で「すげえ」と目を輝かせている。その姿はまるで小さい子どものようだ。――などと言ったら本人に怒られるかもしれないが、店舗奥に巨大なゲーム玩具コーナーを見つけた途端、一目散にそこへ行ってしまった。やっぱり子どもだ。幼児だ。必死に追いかけながらも、もう高校生なんだし、放っておけばいいよな……と思わず苦笑が漏れる。だが落ち着きがない様子を見ているのも面白いしばか可愛い。
都心で買い物するなら護衛を連れていけ、と煩い父親の言いつけを守って、今日は家電の知識に長けているSPに付き添ってもらっている。常に自分の少し後ろを自然に歩く彼の存在を感じながら、俺よりもむしろ、あの自由奔放に出歩く光を監視していてもらいたいくらいだ、と思った。
「おい勝行、ここすげーな、タダでゲームプレイできるぞ」
ゲーム機のデモ画面前でコントローラーを占拠していた光が、追いついた勝行に向かって興奮気味にそんなことを述べてくる。
「そうだね。でも光の視力がさらに悪くなるから推奨したくないな。あ、ほら、ピアノも売ってるよ、あっちの方に」
玩具コーナーの奥にある電子ピアノと音響機器のコーナーを指差すと、光は「マジで?」とバカ正直に指された方角に視線を送る。そこには電子ピアノが所狭しと並べられている。売り場を見つけた光の目はさらにキラキラと輝いた。
その顔からしてやっぱり一番はピアノのようだ。店内を大冒険していた光の足は、勝行の予想通り電子ピアノの売り場で完全に止まった。
「なあ……、これって弾いてもいいやつ?」
「うん大丈夫だよ。試してみたら」
沢山ある電子ピアノの海に埋もれながら、光は嬉しそうに鍵盤をいくつか叩いて確認し始める。グランドピアノの音に似せた電子音がリズムよく弾む。彼が持っているキーボードとはまた違った、より生ピアノに近い音。
すっかりやる気に火が付いたのだろう。光はある一台の前に仁王立ちになり、いつものノリで即興創作曲をタララッと演奏し始めた。こうなるだろうと予想済みだった勝行も、しばらくはその音楽に酔いしれる。
近くにいた客たちも光の演奏を聴いて足を止める。
「え、すご……」「あの子、うまいね」などと小声で話していたり、「ねえ誰かピアノ弾いてる」「どこだ」と彼の姿を探している声が聴こえてくる。
そうだろうそうだろう、もっとみんなも聴いて驚くがいい。
俺が見つけて田舎から連れ出した、俺の自慢の相方だ。
――なんて言い出したくなる気持ちを抑えながら、勝行はピアノコーナー隣にある音響機器売り場に移動した。
通路付近にずらりと並ぶ、流行りの携帯音楽プレイヤーをいくつか手に取って吟味する。今日のメインのお目当てはこちらだ。
あのピアノを買ってあげるのもいいかもしれないが、今使っている年季の入ったキーボードには随分思い入れがあるらしく、新たに買ったところで乗り換える気はないだろう。
それよりは――。
「これ、MDプレイヤーの代わりに使ってくれるかな」
「アイポッドだとパソコンとリンクして音楽データを転送できますよ」
「うん、そうだよね。やっぱりこっちの方がいいな」
パソコンで音源を作る勝行にしてみれば、今時MDに落とし込む作業なんて手間がかかる上別機材が必要だから面倒で仕方ない。最新のアイポッドなら作曲したものもすぐに聴けるし、いずれあの携帯電話をスマートフォンに買い替えることを考えたら、互換性もよさそうだ。
ただ、彼がこの最新機種を使いこなせるかどうかが問題だ。
同行のSPが店員とやりとりしておすすめの機種情報を入手してくれている。デジタル音痴の子どもでも使いやすい機種とは一体どんなものなのか、勝行には見当がつかないからだ。
当の本人に聞いても欲しいものなんて何も教えてくれない。きっと知らなさすぎて思いつかないのだろう。こちらでリサーチして、勝手に決めるしかない。
「再生と停止だけならこのボタンひとつで済みます。きっと光さんでも簡単に操作できるかと」
「なるほど、単純明快なのはいいね」
「ちょうどこの最新機種は市場が落ち着いた頃合いのようで、今ならどの色も在庫あるようですよ」
「そう。こんなの見てたら、俺も買い換えたくなるね」
同メーカーの旧モデルを愛用している勝行は、いい機会だから色違いで二台買おうかな、とリンゴマークのついた白色の音楽プレイヤーを手に取って呟いた。
光に希望の色を確認しようと思ってピアノ売り場を振り返ると、いつの間にか光の周りにたくさんの人だかりができていた。
勝行は毎日聴いていることだから気にも留めていなかったが、光がこんな店頭でピアノを弾きだしたら、ちょっとした無料演奏会もいいところだ。
しかも今日は週末、店内もそれなりに混んでいる繁忙時間帯。
その華麗で流暢な指使い、どこか耳なじみのよい音楽はまさに優雅な生演奏。ところが奏者と楽曲とのイメージギャップがありすぎて、通りすがった客の大半が足をとめて光を凝視していた。
なぜなら奏者の出で立ちは茶髪に緑メッシュ、ピアス姿の遊び人風なイケメン高校生。
鍵盤の上に指を躍らせながら、笑顔で好き放題に演目を奏でる光の姿は、私服とはいえあまりにも目立ち過ぎた。
見た目の派手さのせいか、人々は何かのイベントか? と次々立ち止まって彼の姿を見ようとする。その人だかりが増えれば増えるほど、さもイベントと思われるほどのギャラリーを呼び寄せてしまうのだ。
ちょうど長い一曲が終わったようだ。
ジャラン、と終わりを告げるフレーズのあと、音が途切れた。
途端、周囲から割れんばかりの拍手が起こる。
光は「えっ!?」と周囲を見渡した。ピアノ演奏に夢中になりすぎて、自分の周りにこんなに沢山の人が集まっていることに全く気が付いていなかったようだ。
「お兄ちゃん、上手いねえ」
「何ていう曲なの?」
「今日なんかの演奏会か、イベントかい?」
拍手の中から矢継ぎ早に質問が飛び交うも、光は茫然と立ちすくんでいる。
それも仕方ない。人付き合いが苦手でコミュニケーションもろくに取れない光は、一度に沢山の見ず知らずの人間と会話するなんて高等技術、持ち合わせていない。勝行は人混みをかき分け、思考回路がショートしかかっている光の元に戻った。その身体に誰かがぶつかったりしないよう、SPが道を作っている。
「光、ピアノ弾くの堪能した? 買うもの決めたんだけど動けるかな」
「へ? あ、ああ……」
呆けている光の腕を取ってにっこり微笑むと、返事も待たず引きずるようにして光を人混みから連れ出した。もちろん、光の演奏を聴いてくれていた客人たちにもお愛想の笑顔と「すみません、急ぎますので失礼します」とやんわり断りを入れることも忘れない。
その穏やかな笑顔と物腰は低いが有無を言わさぬ態度に誰も文句を言うはずがなく、なんだただの客だったのかと人混みは自然に解体していく。演奏を聴いていた子どもが何人か、自分もやってみたい、とピアノ売り場に群がっていった。
「人気者だったね」
そう告げると光はものすごく困った顔をして「……そうなのか?」と呟いた。大勢の問いかけによほどびっくりしたのだろう、その手は少し震えていた。怒られたとでも思ったのだろうか。
「光、これからもっとああいう場面に慣れないと。音楽活動って、あんな風に見ず知らずのお客さんの前で堂々と演奏することなんだよ」
「……そ、そうか。でも、今そういうつもりじゃなかったし……」
「光はそこに居てピアノ弾いただけでスターになれるからね」
一番最初に光の虜になったのは自分だ。それだけは確信している。
きらびやかなライブハウスやコンサートステージは必要ない。
そこにピアノさえあれば、光の周りはどんな場所でもキラキラの音楽が零れ出すライブ会場に変わるのだ。
図らずもこんなところでそれを証明できたのは、嬉しい誤算だった。
勝行は楽しげな笑顔をこぼしながら、お前にちょうどいいいいプレゼントを選んだから、色だけ決めてくれるかな、とさっきのポータブルプレイヤー売り場に光を連れて行った。
**
今はまだ何の音楽も入っていないけれど、家に帰ったらパソコンから沢山の楽曲や編曲中の音源を入れてもらえると聞いて、光は素直にそのプレゼントを喜んだ。
「新しいのって、随分うすっぺらいんだな」
薄くて小さいその姿に驚きながら、白色の音楽プレイヤーを何度も持ち上げては中身をちらちらと覗き見していた。
「なんこれ……ボタンないやん。全然使い方わかんねぇぞ」
「教えるから、ゆっくり覚えればいいよ。それより肝心のスイーツだろ。何がいい?」
こればっかりはさすがに俺の管轄外。
苦笑めいた顔で微笑むと、事前にリサーチしておいたホテル直結のおしゃれなケーキ屋に光を連れ込んだ。ここはテイクアウトもイートインもどちらもできるらしく、ケーキの選択はセルフ形式になっているようだ。決めたらSPがカウンターに注文を入れてくれると言うので、二人は席についてメニュー表とにらめっこし始めた。
「お前、ケーキの好き嫌いとかないの」
光が不思議そうな顔で勝行に問いかけてくる。
うーん……と口元に手をあて、勝行はしばし思考を巡らせた。
「あんまり食べないから、分らない」
「そういえば、甘いのはあんまり選ばないよなお前。コーヒーもブラックだし」
「そうだね、砂糖ベッタベタのはちょっと」
「自分は誰にでもベッタベタに甘い性格のくせに……?」
謎の文句を言いながらも、光はケーキのメニュー表を見てううんと腕組みする。
それから、ケーキって意外と高いんだな……と独り言ちてため息。「俺のオゴリだから値段は見るな」と畳み掛けると、ぐぐ……と言葉に詰まり、もう一度メニューとにらめっこする。どう言っても金額を気にせずに買い物するという行為が貧乏性の光には難しいらしい。
「あ、お前、こういうのがいいんじゃね?」
光は自分のケーキを指定するよりも先に、勝行用に見繕ったスイーツをいくつかお勧めし始めた。
チョコレート系に偏った選択肢が多い。
「コーヒーにあいそう」
「へえ?」と覗き見したら、確かに美味しそうだ。勝行は目の前で真剣に自分のことを考えてくれている相棒の髪をくしゃっと掻き回した。
「今日の主役は光なんだから、自分のを好きなだけ選びなよ」
今日はいくつ食べてもいいよと優しい笑顔で告げると、「マジか?」と嬉しそうな顔を見せて、再びセレクトに悩み出す。
「ここのホテルのケーキは絶品で、いつも予約客でいっぱいらしいよ。せっかくなんだし食べれるだけ食べちゃえばいい」
「へえ、勝行そういうのあんまり知らないって言ってたのに」
「知り合いのホテルだから、融通が利くんだ。だから値段も気にしなくていい。ねっ?」
「な、なるほど……さすが金持ち」
これで相手が女の子だったら完全に口説き文句だし、完璧なまでのデートコースだよな……と周りを見渡しながら思った。テーブルに肘をついてクスッと苦笑する。まあ別に女の子相手じゃなくても楽しいし、今日の光は十分すぎるぐらいに可愛い。こんな彼の楽し気な様子を知っているのは自分だけ――という優越感が、たまらなく心地いい。
東京に来て以来、どこへ行っても都心に向かえば人が多くて、慣れないその環境に何度か貧血気味になって倒れそうになったことがある光だ。今日の外出も乗り気ではなかった。だが家電量販店での様子や、ケーキ屋で甘いものを嬉しそうに選ぶところを見ていると、まあまあ楽しんでくれていそうででこちらも嬉しくなる。
たまにこうやって光を連れ出してあげたい。長らく病院にいて全然娯楽を知らない彼は、ありふれたものですら未知のもの。触れるたび、喜怒哀楽色んな反応を見せてくれる。
そのせいか、自分だけなら来ることもなかったケーキ屋や甘味の情報にもそれなりに詳しくなってしまった。……買ってあげると光があまりに喜ぶから、つい。
カフェでくつろぐのは女性ばかりだが、たまにビジネスマン風な客も見かける。都心の一等地にあるホテルの中だからだろうか。恥ずかしいなと思うほどでもない。
「うーん、三つくらい食いたい」
「ふふ……いいよ。俺におすすめしてくれたのも、半分食べてくれていいし」
「それじゃお前に薦める意味ねーだろ」
まあ、一口くらいはもらうけど。
よし決めたー、と嬉しそうに立ち上がる光をやんわり制し、隣に待機していたSPが注文すると言って欲しいものを確認。勝行も遠慮なく自分のブラックコーヒーと、ついでに光の薦めてくれたケーキを一つ頼んでおいた。光にはミルクたっぷりのカフェオレもつけておく。
「なんか……なれねーなアレ」
相羽家のSPが傍にいることをしょっちゅう忘れる光は、すとんと椅子に座り直して机に両腕を乗せた。
「ごめんね。父がうるさくて」
「いや別にダメなわけじゃねーけど」
金持ちの豪邸に住む今の生活には中々慣れない。という愚痴なら何度も聞かされている。光もここで言うべきではないと思っているのだろう、落ち着きなさそうにSPの様子を眺めている。
「どうかした?」
「え?あ…いや…ほんとに払わなくていいのかケーキ代」
「大丈夫だよ。もう払ってるから」
「えっ!? いつの間に? お前さっきからずっとここに座ってんじゃ」
そんな純粋な反応を見て、勝行は思わず肩を震わせて笑った。
「さっきのSPに俺のカード使わせてるから。大丈夫、あれは父の軍資金じゃなくて純粋に俺の資産だ」
「カード?」
「クレジットカードのことだよ。光は現金しか知らない?」
そんなことを言われると、自分がものすごく世間知らずだと馬鹿にされていると思ったのだろう。光はムッと口を尖らせた。でも実際に知らないのだろう。反論はしてこない。代わりに拗ねたような愚痴を吐く。
「なんで高校生のクセにそんな金いっぱい持ってんだよ……いや、お前は最初っからとんでもねえ札束持ち歩いてたな、そういえば」
「あー、あれをケーキ屋で出すのはさすがにしないよ。非常識だ」
「お前の非常識はよくわからん」
親に捨てられ、限りある資産でジリ貧生活していた光にしてみれば、勝行の買い物ぶりは正直見ていて胃に穴が空きそうなのだろう。
「いっぱいって言ってもそうでもないよ。父の資産で遊ぶと後で頭が上がらなくなるから、イヤなんだ。だから自分で株とかちょっと手出してて……ちゃんと自分の資産は自分の頭脳と労力で勝ち取ってるよ」
「カブ? なんだそれ」
「うーん、……ホンモノのお金を使って市場を動かすゲームみたいなものかな」
「それってギャンブルじゃねーの」
「大丈夫、そういうのじゃないし、合法だから」
光が理解できるよう、かみ砕いて説明しようとすると、何やらいかがわしい行為と間違えられそうで難しい。適当にごまかして会話しているうちに、注文を終えたSPが二枚のトレーにあふれんばかりのケーキを抱えて戻ってきた。
難しい会話ばかりして尖りきっていた光のふくれっ面が、それらを見て一気に綻ぶ。
この一瞬を写真に収めたら、きっと昨日メールをくれた和泉リンは飛び上がって喜ぶだろう。
メールに添付されていた双子の弟にそっくりな、嬉しそうなその笑顔。
そうだ、あの時感じた既視感はこれだったか。急に腑に落ちた気分になる。
いつもにこやかで元気な弟とは正反対で終始仏頂面の光も、時折あの天真爛漫な弟に似た可愛い笑顔を垣間見せる。その時は本当に輝いて見えるし、ああやっぱり双子だ、そっくりすぎると驚愕するのだ。
本人たちは全く気が付いていないと思うけれど。
勝行は急いで携帯電話を取り出し、カメラアプリを起動した。ケーキに夢中な光に無断で、何度かシャッターを押してみる。
「写真、和泉さんに送ってあげないと」
「あーそうだっけ」
「忘れてただろ。まあ俺も忘れてたんだけど」
いきなり写真をとられて訝しげな光だったが、理由に納得して早速一つ目のフルーツタルトにフォークを突き刺した。
カラフルなフルーツが盛られた可愛いケーキたちが、光の前に所狭しと並んでいる。その手前には、光がおすすめしてくれた勝行用のガトーショコラ。
フルーツケーキに混じってぽんと置かれたホットカフェラテには、可愛らしいハート形の泡模様が描かれていて、センターのいちごショートには「お誕生日おめでとう」の文字が書かれたチョコプレートが乗せられている。きっと今日のSPと店からの粋なプレゼントだ。ご丁寧に小さなろうそくまで一本添えられていた。
「待って光。せっかくこうやって誕生日ケーキにデコってもらえたんだから、ちゃんとやろう。誕生日会」
「……へ? なにそれ」
もうタルトの一番上にあったイチゴを口に入れていた光は、不思議そうに勝行を振り返った。
「知ってる? 誕生日ケーキはこうやってろうそくを立てて、火を点けて…」
言いながら可愛いショートケーキにろうそくを立てると、SPが横からさっとライターで火を点けてくれる。申し合わせたかのように、お店から店員が数人出てきて「お誕生日おめでとうございます」と二人の座るテーブルの横に立ってにこやかに挨拶を述べた。
別に頼んでなかったのに、随分サービス精神のいい店だな、と思いながら、勝行はにっこり笑って姿勢を正す。
そしてすうっと息を吸い込んだ。
伸びのいい綺麗な歌声。
甘くてほんのり高い、それでいて気持ちを落ち着かせてくれるような、ゆったりした音階とテンポで、歌う曲目はハッピーバースディトゥーユー。
ごくありふれた、誰もが聞き覚えのある短いフレーズ。
椅子に座ったまま、それを綺麗な歌声にのせてアカペラで独唱する姿に、店員はおろか周囲にいた客のほとんどが思わず勝行の方を振り返った。
♪ハッピィバースディ、トゥーユー
ひとしきりの短い節を歌い終わった勝行が、フォークを手にしたまま茫然とそれを聴いていた真向いの光に、「ろうそくの火、吹いて消して」と指示する。
言われて反射的にふっと火を消した途端に、あちらこちらから「おめでとう!」と拍手喝采が巻き起こる。本日二度目の突然の出来事に、光は再びびっくりして周りを見渡した。
「あはは、驚いた?」
「あ……、あったりまえだろ! なんだこれ!」
いくらなんでも誕生日ケーキの儀式くらい、知ってる!
そう言いながら、顔を真っ赤にして照れ叫ぶ光が可愛くて、勝行は思わず口元に手を当て声をあげて笑ってしまった。高校生のイケメン男子二人がこんな可愛らしいお店で、沢山のケーキを目前にして一人の誕生日を祝っているなどというほのぼのとした現場は、あっという間に他の客の注目の的になったようだ。
店員から「お写真撮りましょうか?」となどと声をかけられ、勝行がその行為に甘えて携帯を渡したりしたものだから光はさらにパニックになる。
「やめろクソ恥ずかしい!」
「でも源次と和泉さんに写真送らないと」
「食ったところだけでいーじゃねーか!」
「まあまあ、今日しかない記念日だから。ね?和泉さんも源次も、光が楽しそうにしてる写真見たら絶対喜ぶよ」
「お前、はずかしくねーのコレ!」
「うん? 主役じゃなかったら全然」
むしろドッキリの仕掛け側ってクセになりそうなくらい、面白い。
などと思ったことは口にせずさっと光の隣に移動すると、強引に光の顔をカメラ側に向かせて極上の微笑みを浮かべ、店員にシャッターを何度か押してもらった。その笑顔とは裏腹に強烈な腕力で抑えつけたので、光は本気で身動きが取れず顔を真っ赤にしたままだ。
「てっ、テメー、いつか仕返ししてやっからなっ」
五月になったら、ベッタベタに甘いケーキその口の中に突っ込んでやる、と息巻く。
勝行は涼し気な顔で「いいよ、楽しみにしてるから」とかわしておいた。
店員に撮ってもらった写真に映る光はかなり照れまくっていて視線も逸れているが、それがまた光らしくていいものが撮れたと思う。
(こんな誕生日を過ごしましたって送ったら、向こうも安心するかな)
きっと一人東京で暮らす兄が心配で仕方ないのだろう。地元に残る弟とその幼馴染には、少しでも自然体で、楽しそうに過ごしている姿を見せて安心させてあげたい。撮ってもらった写真がすべて保存されていることを確認すると、あとでゆっくり送信しよう、と携帯をポケットにしまいこんだ。
「俺もいただこうかな。光のおすすめ。なんていう名前のケーキ?」
ぶすっとふてくされたまま、大口を開けてタルトを丸呑みする光に代わって、調達してきたSPがガトーショコラですよ、と教えてくれる。
ビターチョコレートのほろ苦い香りと味が、勝行の舌の上で転がるように溶けていく。流石は光の見立てたものだけあって、食べられない味ではない。むしろ好物の部類に入る味だ。
ブラックコーヒーを口に含みながら、美味しいねと眩む微笑みで光に声かけると、機嫌を損ねながらもガツガツ自分のケーキを食べていた光が、無言でちらっと食べかけのガトーショコラを覗き見て、「ったりまえだろ、俺が選んだんだからな!」と吐き捨てるように呟いた。
そんなぶっきらぼうな返事でも嬉しくて、勝行は椅子の背もたれに凭れかかりながらコーヒーを堪能する。
放っておいたら、ガトーショコラを含めテーブル上のケーキは五分くらいでなくなりそうだ。いい食べっぷりの光を見つめながら、あと五分したら機嫌もそれなりに治ってるから、もう少し眺めるだけにしよう、と心に決めた。
**
「リンちゃんヤベェ、勝行からメールきた!」
遠征試合終了後の帰り支度をすませ、サッカー部全員で電車に揺られている時だった。マネージャーとして遠征に同行していた和泉リンは、今西源次のその言葉を聞くなり、電車の中であることも忘れて「マジ!? 見せてっ」と大声で叫んだ。
「煩いぞ二人とも」
「和泉、うるさい」
何人かのチームメイトに注意されて肩をすぼめながら、源次はリンの隣に立って携帯を開く。この携帯も、去年の誕生日に光とお揃いで勝行に買ってもらったものだ。どちらかというと弟の方がよく使いこなしているが、その大半は和泉リンが使っていると言っても過言ではない。
よく見なれたメール受信画面には、勝行からの丁寧な長文返信と共に、何枚かの添付写真が映し出されている。
「ええっ、ケーキ屋でてんこ盛りの誕生日ケーキとか……ナニコレ、光くん幸せすぎでしょ……」
もう相羽家に嫁にでも行っちゃった感じだね。
テーブルにあふれんばかりの大量のケーキ。ハートの描かれたカフェラテに誕生日プレートとろうそくを立てられたショートケーキがあって、その奥には真っ赤な照れ顔の光と、光を抱きしめて穏やかな笑顔でカメラに映る勝行の姿がそこにあった。
撮られていることに気づいてないのか、一人で嬉しそうにイチゴを丸のみする光の写真などは、ちょっと色っぽくて可愛らしい。まるでグラビアアイドルのピンナップのようだ。
デートにしか見えないその風景は、あの二人はデキてるとしか言いようがない甘ったるい雰囲気に包まれている。それもこれも、王子様みたいな勝行の演出力のせいかもしれないが……。
「光くん……相変わらず美人で女子力高いしムカツク……っ」
でもこの写真はお宝だから、ちゃんと保存しておこう!
まるで自分の私物かのように迷わずボタンを操作して、リンは届いた写真の全てを保存していく。
源次は写真に映るケーキの山を見て、「いいなあ誕生日パーティー! 俺たちが小さい時、何度かやったの覚えてる」と感慨にふけっていた。
源次もケーキは大好きだ。だけどそれ以上に、光がものすごくケーキ好き――特にケーキの上に乗ったいちごやフルーツ全般が大好きだったことも思い出す。
「ねえリンちゃん、俺もケーキ食べたい」
「昨日ビッグシュークリームあげたじゃん」
「違う、いちご乗ってるやつ!」
んで、ろうそく立ててふーってするのも、やりたい!
光と勝行みたいなの、やりたいー!
試合帰りの汗臭い男子部員ばかりの車内で、そんなワガママを大声で言い出した源次は、多分この中の誰よりも幼稚で、誰よりも可愛かったことだろう。
カシャ、というシャッター音がどこからともなく鳴り響いた。
その後、サッカー部の先輩有志が集まって源次にいちごのショートーケーキをごちそうしたという話は、聖苑学院サッカー部ではちょっとした有名な伝説ネタになっているという。
おしまい